塾長紹介

 「問題をよく読んでも、自信をもって解答が書けない」塾生の表情が、「問題を解くのがオモシロイと感じている」顔つきへと変っていくのを見るのが楽しみだ。

 そのためには、教え指導する人に、多くの知見と豊かな感性、そして筋道立て文章を書くことを学んだ経験、少なくともこれ位は必要かな…。しかし、それはそれで容易なことではないので、日々研鑽する努力を惜しまず、塾生以上に勉強していかねばと思う。

ごあいさつ


 こんにちは、塾長の卜部秀彦(うらべ ひでひこ)です。

 これまで開発技術者として、ものづくりを通じて、長年、社会に貢献してきました。ふと気が付くと21世紀も既に20年近くが経ち、来し方行く末を考えながら、視野を広げてじっくりと社会の様子を見回してみると、私たちの社会は数百年に一度の大きな曲がり角に立っている様に思います。

 こうした状況の中で、これからの私たちの社会にとって最も大事なことは、大きな社会の課題の解決を担う人づくりであると思われます。ものづくりも大切ですが、今や待ったなし、最重要にして最優先の課題は、新たな人づくりです。

 そこで、昨年、技術者としての仕事に大きな区切りがついたのを機に、これまでの多くの家庭教師経験と高校のパソコン実習講師の経験を生かして、日本社会の将来を担う人々の育成に少しでも貢献できればと思い、塾生の特性と学習目標に合せる「イージーオーダー&ハンドメイド」の学習・進学塾の運営を始めました。

 微力ながらも、これからの「社会のために必要な人」を育てることに役立つことができれば、塾長としての役割を果たすことになると思います。

                               2017年4月吉日

経 歴

<1973年3月>
 私立昭安幼稚園、市立日吉小学校、市立美須賀中学校を経て、県立今治西高等学校卒業。

<1973年4月>
 北海道大学理類入学。

<1979年3月>
 北海道大学農学部を経て、同工学部卒業。

<1997年6月>
 三菱マテリアル系エンジニアリング会社での技術開発及び経営企画の仕事を経て、帰郷。祖父により1927年創業の産業機械設計製作会社を父親より継承し、20年間に渡り開発設計を主体とした経営を行う。

<2015年10月>
 秋より、事業と並行して、塾開業の準備を始める。

<2017年4月>
 3月、90年に渡って経営してきた、会社を閉じ、自律塾 エルムを開塾する。

講師及び家庭教師歴

<1999年>
 高等学校でパソコン演習の講師(今治明徳高等学校)。

<2001年 ~ 2008年>
 中学・ 高校の同級生である友人の強い要請で、小学6年生男子の家庭教師を引受ける。その後、人伝でさらに友人・知人に話が広がり、引き受けた延べ人数は、小学生3人、中学生10人、高校生3人の16人。そのうち、女子は5人。


指導実績

 塾生の進学先は、【 進学実績一覧表 】をご覧ください。 

教室風景


趣味・特

 趣味は昔は読書。今は「まちづくり」。そのための読書は欠かさない。江戸時代初期の藤堂高虎による今治の「まち割り(都市づくり)」に、中国地方(備後国)は三原の地から馳せ参じた初代から、”15代、400年に渡って今治に棲む”人々の末席を汚す人間の一人としては、今治の行く末を気にかけなくてはいられない、というところ。

 特技は昔は球技。特に野球。今はかつてのように俊敏に身体が動かないので観るだけ。学生時代より計算機プログラムの作成を行う機会が多かったゆえか、同年代の人たちの中ではコンピュータソフトの知識が豊富で、その世界に比較的堪能。因みに、このHPも自家製。

 同級生などからは、文理両面を兼ね備えた珍しい人間だと言われるものの、根は理系らしく、その見本のように見られるところも少しあるようです。

□□□ 勉学・受験に関してつらつら思うことを、独り言のように並べてみた □□□

ー これまでの様々な経験と講師・家庭教師の実績に拠っているけれど、”独断と偏見” かなぁ... ー

 最初に一言。モノづくりは大事です。また、お金も大切でしょう。その有り様は変わっていかねばならない時代がとっくに来ていると思われますが、しかし、どちらも欠かすことはできません。

 さは然りながら、これからの日本社会にとって、それ以上に遥かに大事なことは、これまでとは大きく異なる未来を担う人づくりです。日本社会の生き残りのためには必須です。お金は、先ずは人づくりに使いましょう。

 自律塾エルムの存在が、その一助となることを願うところ大きなものがあります。当塾最大の目指すところであるとともに、塾生に多くを期待するところです。今や、待ったなしのところまできている、と言えば大げさでしょうか …。

(なお、以下の文章は、高校入試で出題される国語の小論文において、「こういう風に書いてはいけない」とされている、「ですます調と、である調を混在させる書き方」を、意図的にしてあります。確かに、中高生はマネをしない方が良いですが、しかし、人に語り掛けるという場合、混在させることも、訴える力と言う意味から有り得るべしと考え、あえて掲載しております。ご意見、ご感想がありましたら、お教え願います。)

■ 勉学に共通して思うこと

  •  子ども時代から思春期へ

     小学生はもちろん、中学2年生くらいまでは、「塾」は学校での友達との ”遊び” 時間の延長線上にあります。もちろん、各自、勉強はしていますが、仲間意識の繭の中です。

     当然、生徒の自主性に任せていては、周囲が期待するようには、勉学が進まないこともあるように思います。特に男子。なお、中学生の場合は、思春期あるいは「中2病」と言われる、心身の大きな変化の時期にあることも関係しているらしい。
  •  得意教科、不得意教科

     どの生徒にも、主要5教科の内で、これは得意あるいは苦手という程でもない、とある程度は密かに自信を持つ教科があるようです。しかし、それが一つしかない場合には、その出来が相当良くなければ、5教科の平均値は苦しいことになります。
     一つの教科に特異な才能を示すにもかかわらず、その他のために全体が低く評価されることは、大変に残念なことです。

     愛媛県の中学生の場合にも、公立高校受験時の内申書(主要5教科の評定点)の問題があるので、主要5教科に少なくとも1つ、それぞれの塾生なりの得意教科があることが必須ですが、少なくとも主要5教科のうち2つは、「苦手というほどでもない科目である」となりたいものです。

     塾長の勉学経験、家庭教師経験あるいは同級生の証言などから言えることは、得意、不得意教科数を中学生は得意(準?得意)3教科、不得意(準?不得意)2教科、高校生は同じく、得意2教科、不得意3教科を最低線として目標に置くことが望ましい。

     そうすれば、不得意教科の成績が相当に悪くない限り、主要5教科での模試の偏差値は中学で60~70程度、高校でも同様になると思います。特に高校では、得意1教科が模擬試験において常に90点以上ある場合は、偏差値はさらに一段上がるはずです。
  •  高校入試  

     高校入試までの結果は、学校入学時からの日常的な生徒本人の努力に加えて、親御さんの大いなる助力と、周囲の協力に拠るところが大きいと思う。

     もっとも、中学生の高校入試に関しては、難関校志望でない場合は、定期試験で平均以上の成績を維持する基礎力があれば、本人の”気合”次第で、3年生夏以降の付焼き刃も効く場合が、ないこともないように思われます。

     裏を返せば、普段の勉強を疎かにして評定点を伸ばすことができなかったり、3年生夏以降の努力を怠り、効果的なラストスパートができず偏差値を下げてしまえば、難関校受験の場合には、厳しい結果となる可能性もあります。
  •  大学入試  

     高校から大学入試までは、生徒本人の意欲と目標が確りしていないと、良い成果は望めません。高校入学までのような周囲の助力の効果は限られています。

     大学入試には、偶然の当たりはずれによる、運・不運や、選択の結果的な適否もあります。しかし、そうしたことだけで結果を左右されないために、目標に見合った3年間の地道な努力と、それを生かす、あるいそれによって生かされる、必要最小限の「地力」も必須のように思います。

     なお、2020年度から、大学入試センターが新たに実施を始める「大学入学共通テスト」においては、《指導方針》のページに記したような、『21世紀型能力』の習得を試す問題が出されるようになります。付け焼刃の詰込みでは得点できません。分析し、考え、総合し、表現する力を養いましょう。
  •  生徒が把握している自分の実力

     生徒の意欲と実力ですが、実力がある生徒ではない場合には、往々にしてその間に大きな齟齬が見られることがあります。傍からは見えるようで、なかなか見えないものです。しかし、塾長の ”実験” によれば、それをかなり確実に把握する方法があります。

     それは、塾生本人に、”自分ならこれくらいであれば、ほぼ正答できそうだと思う内容を少し超えた程度” の問題集を、自分1人で本屋で探して来てもらう、という簡単な方法です。
     本来の教材は当塾ですべて用意しますが、それとは別に、関係する科目から1つ選んで「少し背伸びした問題集」を購入してきてもらいます。

     その内容と難易の程度を見れば、塾生の意欲が判ると同時に、塾生の学習能力に関する「自己認識」がはっきりします。例えば、そこそこ頑張っているけれど、実は苦手で困っている教科では、傍目の評価をかなり下回る、意外なほど平易なものを選んできます。

     逆に自信を持つ教科であれば、流石にこれは無理じゃないかと言うくらいの、かなり高度な問題集を選んでくるものです。さして苦手でもないが好きでもないと思っている教科は、なぜか、教科書練習問題や教師の作るプリント程度の無難なものを選んできます。  

     それを見た上で、自他の評価の差を確認すれば、すべてが赤裸々に明らかになる、というと大袈裟かもしれませんが、中らずと言えども遠からずです。もちろん、この認識のギャップは、今後の指導方針の大変に重要、かつ貴重な資料となります。

     ただし、小学生や中学1年生にとっては、このように問題集を選んでくること自体が無茶なことなので、実施するのは概ね中学2年以降になると思います。
  •  国公私立中学受験 

     中学受験。所謂、良い大学へ入るための、有名私立や国立の中高一貫受験校の受験のことです。あるいは最近では都道府県によれば、公立の中高一貫校でも進学を目的とした生徒募集をするところもある模様ですので、その受験も含みます(愛媛県の公立中高一貫校は、それとは異なりますので、ここでは触れません)。

      (続きは、『中学受検ついての考え方 ー 塾長のブログ(4)』へ記載)  

     様々な考え方があると思いますが、一言、失礼を承知で塾長の管見をして言わせて頂ければ、白眉と言われる取り立てた秀才、あるいは特段の目的でもあればともかく、多くの普通の小学生が何ら慌てることはないと思います。

     生徒に地力があり、それに地道に磨きをかければ、高校2年生の終り頃には、それ相応のところで、先行する人たちに追いつきます。心配することはありません。

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■ 国語に関わること

  •  感性を磨く

     国語は、”感性”をいかに磨いていくかに力を入れることが必要です。これは学校で習うという以前に、幼少期の生育環境にも大きく左右されるようです。絵本や物語の読み聞かせに関心を持つような環境にあれば、幸いではないかと思います。

     また理科の勉強にも有益なので、自然環境に触れて馴染み、その方面の感性を磨くことも有用であると思う。いわゆる情操教育に通じる話ではないかと思います。
  •  漢字の読み書き
     
     国語の学習では言うまでもなく、教科書に出てくる漢字の読み書きと意味の理解、その使い方を学校の宿題や自主的学習で習得することが大前提。そのうえで日ごろの学校の授業の予習として、各単元の文章を、意味がほぼ理解できるまで何度か読んでおくことが大事です。

     当塾でも、小学校中学年までは、まずは読みを重視します。当初は大抵は漢字の読みで行き詰り、当然先へは進めません。小学生あるいは中学1年生くらいまでならば、初見の文章ではそれが当たり前だと思う。しかし、中学2、3年生、高校生で詰まってばかりだと些か厳しい。
  •  国語に見る塾の存在意義

     国語の問題はその文章の属性が小説であるか、評論であるか、随筆なのかなどの区別に合わせて、問題への取り組み方を考える必要があります。

     例えば、小説ではその登場人物になりきり、評論あるいは説明文ではあくまで客観的に文章を読み、著者の考え方を読み取ることが必須となります。加えて、その上で、設問者の意図を読み取り、自分の感情や考えではなく、問題の文章の中から答えを見出さなければなりません。

     ところが、設問者の意図を汲むことは、慣れた大人でも困難な場合(「悪問」であることが多いと聞きます。そうした場合、文章の執筆者が設問に答えられないことも珍しくないようだ)があり、一筋縄ではいかない。人にもよるが、小中学生では中々難しいことだと思う。

     塾の存在意義の一つは、長年の勉学や読書、社会経験がものを言う、このような事柄に関して、話しの筋を整理し見通しを塾生に示すことができるところ、ここにあるのかもしれません。その指導の過程を塾生が学んでくれれば、大きな財産となると思う。
  •  数理的思考力と国語  
     
     国語の学習により培われる読解力・文章力は、論理の構成能力として、後々に必ず、ものごとの理解力と論理的、あるいは数理的思考力に関連してきます。のみならず、算数・数学、理科、社会の勉学に大きな影響を及ぼします。大事なところですから、当塾では確りと学習指導していきます。

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■ 算数・数学に関わること

  •  算数の計算問題 

     算数や数学の苦手な小中学生は、小学校高学年での文章問題もさることながら、それ以前の算数の計算問題において、単純な計算の決り事や手続きの理解を疎かにしてしまうことで、直観にたよる、場当たり的計算を行う習慣がついてしまっていて、後に躓いていることが多いようです。
  •  九九の暗算は頼りになる友

     算数の苦手な小学生あるいは計算で躓く中学生は少なくありませんが、彼らは小学低学年で、加減算において、「日常感覚の数量」と「数字の意味するもの」との対応関係が納得できるまで掴めないまま、掛け算、「九九」の暗算の入口で、闇雲な暗唱を強いられると苦労するようです。

     その結果、九九暗唱の第一歩で嫌気が差し、計算力の不足から、算数や計算への苦手意識を持ち始めるように思われます。 

     当塾では、覚える切っ掛けができるよう図を説明に使い、視覚に訴えて、計算課程を説明しながら数の音と計算を対照させ、筆算もしながら暗唱を繰返します。
     例えば、「5の九九の結果は、一の位は必ず0か5である、9の九九の結果は、1の位と10の位の数を足すと、必ず9となる」というように、数理で説明できる根拠のある九九の特性を、それとなく示しながら教えます。

     そして、小学高学年までには、日常生活上の単純な計算は暗算できるように鍛錬します。「九九」の ”バラバラ暗算”、つまり1桁あるいは2桁の数と1桁数の乗算・除算の暗算は、算数・数学で好成績を取るには必須です。

     計算力の弱さが応用問題を解く際の手かせ足かせになりかねません。聞くところによれば、苦手意識をもって、そのまま大人になると、「数字を見た途端、数字が ”スルリ” と頭から滑り落ちてしまう人」になるらしい。
  •  私立中学受験で学ぶ文章題

     私立中学を受験する小学生は、学校ではあまり詳しく学ばない文章題を身に付けなければなりません。昔から有名なのは、「つるかめ算」ですが、そのほかに「旅人算」「出会い算」「仕事算」「植木算」「流水算」などなど、それぞれ名前の付いた十指に余る計算問題の種類があります。

     ほとんどパズルのようなものですが、それなりに独特の法則性がある問題ばかりで、数学というよりも、日本で江戸時代に発達した「和算」のような独特の世界です。明治初期には、西洋の数学を「洋算」と呼び、和算と区別していたようです。

     明治に小学校ができた当初、まだ師範学校がない時期には、数学の教師は和算の師匠が担ったとか。その影響で、文章題として和算の計算方法が生き残ったのかもしれません。和算を洋算の考え方で理解し、算数の文章題として教えていたのかも知れない。

     このような文章題については、関連する記事を下記の『塾長のブログ(7)』に掲載したので、それを一瞥してみてください。

     『 小学生と中学生の女子は超お忙し ー 塾長のブログ(7)』

     何はともあれ、今、私立中学を受験する生徒は、このような算数文章題を解く勉強が必要になります。中学・高校の数学を知ってしまってから振り返ると、こうした文章題をそれぞれ独自の方法で解く世界は、袋小路に入ったような気分になります。

     しかし、江戸時代の和算では、独自の行列や積分の世界も切り開いていた模様です。数学的歴史遺産としての和算は、日本独自の文化のレベルの高さを示すものでもあり、そのような視点からは、決して軽視するべきものではないと思います。中学受験生は小学校の算数の仕上げ、あるいは思考力の鍛錬と思ってしっかりと学んで欲しい。 
  •  少数、分数の計算と中学数学

     小学生の時に分数あるいは小数点のある計算ができないまま進学すると、単純な数字の計算をすることができないというだけのことで、中学数学には手も足も出なくなります。中学1年のなるべく早い時期に挽回しておかないと、その後では時間がなく、苦しい展開になります。
  •  図形の問題  

     中学で初めて出てくる図形の証明問題で一番の課題は、そもそもが図形の”読み方”にあるようです。小学校までの単純な図形ではなく、線が輻輳して絡み合っていたりすると、何がどうなっているのか、混乱して分からなくなる生徒がいるように思います。  

     更に、文章読解力が弱い場合、問題文と図形との対応関係を掴むことに苦労して混乱し、一人での勉強だと、ここで諦めてしまうこともあるようだ。  

     幸い、平面図形に関する証明がほとんどなので、線と線の関係、意味するところの噛み砕いた丁寧な説明を当塾で行ない、それを理解することができれば、後は練習問題を出来るだけ多くこなすことで、何とか付いて来ることができます。自力で初見の練習問題を一つ解ければ、大きな自信がついてくると思う。  

     ちなみに、検証したわけではないので憶測の域を出ませんが、平面図から立体を描く際や、複雑な立体形状を扱う場合、いわゆる「方向音痴」の人は相当に苦労するようです。空間認識能力と関連があるのかも知れません。
     実は、この点は社会科の地理や歴史の学習における「地図の読み」にかかわる話でもあり、ことは意外とややこしい。
  •  高校の数学

      高等学校では、本格的な数学の世界へ第一歩を踏み出します。ここで身に付けた数学的センスは、その後、理系に進むか否かを問わず、大学での勉強に生きてきます。

     中でも、行列・行列式として出てくる線形代数の基礎は、分野を問わず、コンピュータを駆使した解析技術として大切です。計算過程を詳しく知らなくとも、既成の計算機プログラムを使えれば良いという考え方もありますが、どういうものかを理解しておくことは必要です。

     また、ベクトル、複素数はもちろん、微分・積分は欠かせません。これらの基礎を理解しないで大学へ進んだ理系学生は、その分野を問わず、大きなハンディーを背負うことになるかも知れません。

    (追記:今では、どういう次第かはわかりませんが、行列、行列式が高校数学の課程から消えています。上記の通り、ICTの時代には欠かせぬ内容だと思いますが、もしかしたら、理系ではない多くの一般の人には、解析技術は「ブラックボックス」で良いという考えなのでしょうか…。現在、そして将来も大きくは変わらないともいますが、手続き型コンピュータが、どの様に演算しているかをうかがい知る良い材料なのですが…。禍根を残しかねないですね。)

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■ 小学生の英語教育に思う

  •  小学生の英語教育と中学英語

     英語への取り組みには昨今の世情を反映して、様々なアプローチが提案され実施されています。「実務上で使える、役に立つ英語」の勉強ということで、学校現場ではいわゆる「小学教育」として英語が教えら始めるようです。
     2020年度からの大学入試で、「読む」「書く」「聞く」「話す」の4つの力を試すことになることから、小学校から高等学校までの英語教育にも、その影響が及んできます。(大学入試共通テストで英語4技能の試験を課す計画は問題点が多く、結局、2019年に実施見送りとなりました。)

     そうした英語教育の大きな変化について行くには、小学校段階では、まず、”習うより慣れろ ” で耳から英語の音に慣れていくことは良いことでしょう。文部科学省の指導要領もそのようになっています。問題はその時期。塾長にはそれが何時であるかべきかに知見が少ないですが、参考にまでに身近な一例を示します。

     (続きは、『英語学習の指導のかたち ー 塾長のブログ(2)』へ記載)

     上の話、及び現行の入試傾向に鑑み、当塾では、小学生では英語の感覚に慣れること、また、中学生では旧来のように単語の意味から始まって、綴り、アクセント、イントネーション、そして文法の勉強に並行しながら、読む聞く書く話す、この力を培う、比較的オーソドックスな道をとります。

     ただし、単独で単語や文法をを扱うのではなく、日常的によく使われる慣用的な短いフレーズの中で、その用法と合わせて英語特有の言語感覚を身に付けることができるよう配慮していきます。もちろん、長文問題や英作文に対処した学習となることは言うまでもありません。

     単に、会話ができるようになるだけで済ますことは出来ないと思われるので、目先の成績のこともさることながら、将来、様々な分野の専門書を読むことに苦労しない程度の、基礎的素養を身に付ける一助としたいと思います。

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■ 理科と社会科の学習

  •  理科と社会科の学習の真髄は視野を広くすること

     理科・社会科の学習では、理科の物理化学分野(第1分野)以外はとにかく記憶することが先決、と思われている節があり、塾長も中学まではそう思い、懸命に教科書の大事なところへ線を引き、暗記を試み、その結果、教科書のページのほとんどに線が引かれた等という笑うべき記憶があります。

     例えば、テレビで見た時代劇の歴史に関心があり年代を覚えるとか、花や動物が好きなので名前や分類を覚える、あるいは、旅行で行ったことのある土地の地理や産物を学ぶ、などの印象に残るきっかっけがある学習であれば、単純に記憶する作業も楽しく確りと記憶に残る場合もありますが、残念ながら多くの場合はそうではないようです。

      (続きは、『理科・社会科学習の指導のかたち ー 塾長のブログ(3)』へ記載)  

     …、上記ブログのように、細切れにされている分野の垣根を超えた大きな視野の中で見て初めて、しっかりと正しい理解ができることとなると考えています。しかし、それはそれで個々の生徒が一人で取り組むには、大いに時間のかかる調べとハードな勉強が必要となりそうです。
     そうなると、ものごとがどういう全体像の中にあるかを示し説明をすること、ここにも塾の大きな役割があるように思います。  

     もちろん学校でも行っているものと思いますが、塾長の経験や側聞することから見て、学校では時間と労力の関係で十分ではないことが多いようです。当塾としては、理・社については常にそうした意識のもとで指導を行うことを基本としています。

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